演奏会レポート

2016.11.13 第一生命ホール

創立25周年シリーズ 第50回定期演奏会

LE VIOLON D’INGRES アングルのヴァイオリン

プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 作品25

Sergei Sergeevich Prokofiev Classical Symphony(Symphony No.1) in A Major, Op.25 (1917)

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61

Ludwig van Beethoven Violin Concerto in D major, Op.61 (1806)

漆原 啓子 Keiko Urushihara (Violin)

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調 作品92

Ludwig van Beethoven Symphony No.7 in A Major ,Op.92 (1812)

LE VIOLON D’INGRES

アングルのヴァイオリン


 音楽史の解説でよく見る古典派・ロマン派といった用語は美術史用語からの転用ですので、ベートーヴェンを指していう古典派と美術史でいう古典派では、ほぼ似たような傾向を指しています。さて、ベートーヴェンと同時代のフランスの画家に、古典派でありながらロマン派的さらには現代的な要素までもっているところがベートーヴェンとよく似た人物がいます。ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルです。ドラクロワらのロマン主義絵画に対抗する新古典主義の中心人物で、フォルム(形体)を最も重要と捉え、入念に構成された幾何学的形体と徹底的に研鑽された描線によって端正で古典的な形式美を持っています。ところが代表作『グランド・オダリスク』 に登場する背中を向けた裸婦は、解剖学的には胴が異常に長く、通常の人体の比例とは全く異なっています。この作品は、アングルが対象を伝統的な形式美に則り模写することよりも、自分の美意識に沿って画面を構成することを重視していたことを示しています。客観的事実より自分の描きたいことを優先しているという態度は、アングルの心の内にあるロマン的な部分を現わしています。こうした復古的でアカデミックでありながら新しい態度は、描きたいことを描くという点で印象派に、フォルムを優先するという点でピカソなどのキュビストにもその影響を与えています。ベートーヴェンが古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させて後世の作曲家に甚大な影響を与え、その影響がヴァーグナーやブラームスはもちろん、バルトークやショスタコーヴィチにまで及ぶところに通じるものがあるといえましょう。
 そんなアングルですが、アマチュア・ヴァイオリニストとしてもかなり本格的であったらしく、あのパガニーニとカルテットを組んでいたというから天は二物を与え過ぎだと思います。そんな故事から LE VIOLON D’INGRES (アングルのヴァイオリン)という「本格的な余技、趣味」という意味の慣用句が生まれたのだそうです。私たちTAOのメンバーも、いわば LE VIOLON D’INGRES を実践してきました。復古的でアカデミックでありながら新しいことに挑戦し続ける25年間でしたし、これからもそのようにありたいと願い、25周年50回目の記念演奏会はそんな日にふさわしい作品で構成しました。
 まず、ロシア近代を代表するプロコフィエフが「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう作品」として作曲した『古典交響曲』。ハイドンをモデルにした分かり易い新古典主義な作品でありながら、大胆な転調などモダンな要素がちりばめられている室内オーケストラの為の小さな至宝です。「復古的でアカデミックでありながら新しい」というコンセプトにぴったりの、TAOを代表するレパートリーです。
 次に、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーと並んで世界四大ヴァイオリン協奏曲に数えられるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を初めて取り上げます。他の協奏曲がソロ・ヴァイオリンに圧倒的に比重をおいたソリストの技巧の華やかさを楽しむ曲であるのに対して、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はオーケストラとソロが対等の比重で書かれており、全楽章を通じてオケとソロが対話をしながら音楽を作っていきます。ベートーヴェンの時代までは協奏曲では指揮者を置かない「弾き振り」であることが多く、この曲もソリストがオケパートを弾いて構わないように書かれています。指揮者を置かないアンサンブルを標榜しているTAOが演奏するのにふさわしい曲ですが、それだけにオーケストラに十分な準備が、独奏にはソロ・ヴァイオリニストとしての腕前だけでなくアンサンブルのリーダーとしての役割も求められ、これまで演奏することが叶いませんでした。漆原啓子先生との出会いがなければ実現しなかったプロジェクトです。
 締めは、初演時から熱狂で聴衆に迎えられ、ベルリオーズが第1楽章を「農民の踊り」と呼び、ヴァーグナーが全体を「舞踏のアポテオーズ(礼讃・神格化)」と評して讃えた「ベト7」。全曲を支配するのは徹底したリズムのエネルギー。そのあまりの激しさに、作曲家が酒に酔って書いたのではないかとも、バッカスの激情の勝利とも評されました。バッカスとはギリシア神話の酒と収穫の神ディオニュソスのこと。この神を祀る祝祭がバッカナールであり、もともとは農民による収穫を祝うダンスでした。アイルランド民謡に基づいたベト7のフィナーレは、バッカナールのダンスのごとく激情と陶酔の渦に我々を巻き込みます。ニーチェは音楽を「ディオニュソス的なもの」を指摘しましたが、古代ギリシアには、このディオニュソスを信奉するオルフェウス教という古代密儀宗教があり、その教祖である竪琴の名手オルフェウスが、TAOが創立時に模範としたオルフェウス室内管弦楽団の名前の由来です。これまた、50回目の演奏会にふさわしい選曲といえるでしょう。