演奏会レポート

2017.6.25 トッパンホール

第51回定期演奏会

アカデミズムとエキゾチシズム academism and exoticism

バッハ ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BWV1048

Johann Sebastian Bach / Brandenburg Concerto No.3 in G major BWV 1048

ドヴォルザーク 管楽セレナードニ短調作品44(B77)

Antonín Dvořák / Serenade for Wind Instruments in d minor op.44

メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調『イタリア』作品90

Felix Mendelssohn / Symphony No.4 in A Major op.90

アカデミズムとエキゾチシズム

academism and exoticism


「アカデミー」と言えば、美術史では芸術アカデミー、音楽では音楽院や音楽大学を指しますが、アカデミズムというと学問的という本来の意味から転じて保守的や権威的という意味もあります。当団は音楽に対して真摯であろうという意味を込めて「アカデミー」オーケストラと冠しています。アマチュアオーケストラの本流であろうとは思いますが、決して権威的にはならないよう心がけたいと思います。本日は、アカデミズムを基調としながらも異国情緒(エキゾチシズム)を取り入れた、伝統的な中に輝きを秘めた作品をお届けしたいと思います。フランス新古典主義絵画の大家であるドミニク・アングルは、アカデミーで新古典主義の大権威として尊敬を集めていました。一方では勃興したばかりのロマン派のウジェーヌ・ドラクロワが革新派のライバルとして活躍していました。しかし、アングルはロマン的な異国情緒のある画題を選んだり、古典の伝統に縛られない構図を採用したりと、ただ古いだけではありません。音楽の世界でも、アカデミーで教鞭をとるような古典的な伝統に敬意を払うタイプの作曲家と、前衛的で革新的な音楽を志向するタイプの作曲家の対立がありました。中でも有名なのがブラームス派vsヴァーグナー派の対立です。ドヴォルザークは作曲家デビュー当初はゴリゴリのワグネリアンでしたが、後に古典的なスタイルを指向するようになり、古典的な西欧的な音楽にスラブの民族音楽を取り入れることで、保守的だけれど異国情緒に溢れる独自のスタイルを「スラブ舞曲」で確立し大人気となります。ドヴォルザークといえば国民楽派として知られていますが、国民楽派の始祖であるスメタナは民族的要素をより重視し、西欧的なドヴォルザークには批判的でした。そんな「保守派」ドヴォルザークにいち早く目をつけたのが「ハンガリー舞曲」のブラームスです。管楽セレナーデはドヴォルザークがウィーンにブラームスを訪ねた年にモーツァルトのセレナーデに触発されて書かれました。ブラームス派のドヴォルザークは後にニューヨーク・ナショナル音楽院の院長に招かれて教鞭をとることになります。ブラームスはシューマンによって評価されたことで有名になっていますから、ブラームスがドヴォルザークを見出して世に送り出したのは、そんな自らの経験からかも知れません。そのシューマンに「19世紀のモーツァルトである」と言わしめた人物がメンデルスゾーンです。メンデルスゾーンはライプツィヒ音楽院を設立し、作曲家としてだけでなく、教育者やパトロンとしても活動します。彼は前期ロマン派を代表する作曲家ですが、生涯を通じてベルリオーズなど同時代の仲間たちによる急進的音楽の発展には慎重な立場をとっていて、古典的な形式のなかにロマン派の精神を取り込んでいきました。彼はイングランドやウィーン、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ナポリなど訪れたさまざまな異国の都市での経験から着想を得て、「フィンガルの洞窟」、「スコットランド」、「イタリア」など最も重要な作品を生み出しています。メンデルスゾーンの活動において最大の功績とも言えるのがバッハ「マタイ受難曲」の復活上演です。バッハの活躍した頃には音楽の中心はすでに古典派に移っています。当時の聴衆にとって、バッハは時代遅れの保守的で頑迷なバロック作曲家でした。悲しいことにバッハの音楽は彼の死後急速に忘れられ、演奏されることがなくなっていきました。バッハの存命当時、人気を博していたのはイギリスに渡り、きらびやかな音楽大衆の心を掴み大成功したヘンデルです。バッハは死後約80年も経ってからメンデルスゾーンによるマタイの復活上演によってようやくその意義が再評価され、その後は西洋音楽の源流として最も重要な作曲の一人となっています。その音楽は、保守や前衛という対立を超えた根源的なもので、ロックなど現代のポピュラー音楽にまでその精神は脈々と伝えられています。