演奏会レポート

2014.5.25 フィリアホール

第45回定期演奏会

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ロビーコンサート

スメタナ 弦楽四重奏曲第1番 ホ短調「わが生涯」より抜粋

Smetana,Bedřich String Quartets No.1 e minor Op.59-2《From My Life》
Vn.河内 多結、木村 玲子 Va.横山 優子 Vc.岩下 泰久

ヤナーチェク 弦楽合奏のための組曲

Janáček,Leoš Suite for Strings

モーツァルト 交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」

Mozart,Wolfgang Amadeus Symphony No.38 《Prague》 in D major K.504

ドヴォルザーク 交響曲第7番作品70、B.141

ジョナサン・デル・マー校訂ベーレンライター新原典版(ロンドン版)
Dvořák, Antonín Symphony No.7 Op.70 Urtext edition by Jonathan Del Mar / Bärenreiter 2013 (London ver.)

チェコ、民族の響き


かつての「チェコスロバキア」がスロバキアとの連邦を解消し、チェコ共和国の国境が現在のようになったのは1993年のことです。プラハを中心とした西部の “Čechy”(ラテン名「ボヘミア」)、ブルノを中心とした東部の“Morava”(ラテン名・モラヴィア)、さらに東北部の“Slezsko”(ラテン名「シレジア」)の3つの地方が現在のチェコ共和国を形成しています。ボヘミアは中世に神聖ローマ帝国の領邦としてドイツ人の支配地域になったため、ドイツの文化的影響が強い地域になりました。ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝とボヘミア王を兼ねるようになると、プラハは神聖ローマ皇帝の王宮、政治や文化の中心として発展しました。とりわけルドルフ2世(在位1576年 - 1612年)はプラハ城を主な居城としました。教養人だったルドルフ2世は文化や芸術を保護したため、その下には多数の芸術家が集まり、帝国の首都としてプラハは文化的に繁栄しました。
モーツァルトがプラハを訪れて『プラハ』の愛称で呼ばれる交響曲を初演したのは、ハプスブルク帝国の全盛期です。その後、フランス革命に始まりナポレオン戦争によって民族主義と国民国家の理念がヨーロッパ各地に広まると、ドイツ人に支配されているチェコのスラヴ人の民族主義を刺激し、汎スラヴ主義が勃興しました。音楽界にスメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクが現れ、美術ではモラヴィア出身のアルフォンス・ミュシャが汎スラブ主義を鼓舞する作品を描いたのはこの時期です。1874年、モラヴィア出身の青年ヤナーチェクは留学先のプラハで13歳年上の新進気鋭の作曲家ドヴォルザークと出会い、終生の友情を結びます。ボヘミア出身であるドヴォルザークとヤナーチェクはともにチェコの民謡を音楽の根底にしていますが、西欧的なボヘミアとスラブ的なモラヴィアという出身地域の文化の違いを纏っているように感じられます。
今日お聴き頂きます「弦楽合奏のための組曲」は、先輩ドヴォルザークの弦セレに感化された23歳の青年ヤナーチェクが1877年に作曲した習作です。西欧への憧れのなかに、モラヴィア的な民族の響きを見つけることができますでしょうか。それでは、チェコ音楽100年の歴史を概観する時間旅行をお楽しみ下さい。
プログラムノートより抜粋~ドヴォルザーク交響曲第7番(J・デル・マー新原典版)
スメタナと並びチェコを代表する作曲家ドヴォルザーク。交響曲第9番「新世界より」や「ユーモレスク」、「スラブ舞曲」、弦楽四重奏「アメリカ」などで知られ、クラシック界を超えて一般に親しまれる人気作曲家ですが、実は最初は家業の肉屋を継ぐはずでした。演奏に親しむ親族に囲まれ少年は、家業の修行もこなした上でオルガン学校に進学。卒業後はプロのヴィオラ奏者として楽団につとめた後にほぼ独学で作曲家の道へ。応募した奨学金で審査員だったブラームスに高く評価されたことに運命付けられるように、イギリスやアメリカで人気を博し、地元ボヘミアの民族音楽を色濃く表しながらも国際的作曲家として活躍しました。

交響曲第7番が作曲されたのは、まさに彼の名声が国際的に高まっていった時期でした。1884年1月にブラームスによる交響曲第3番の初演を聴いたドヴォルザークは強烈な印象を受け、自らもそれを超えるような交響曲を作らねばとの野心を燃やします。同年6月、ドヴォルザークはロンドンのフィルハーモニー協会から新しい交響曲を書くようにとの依頼をうけたのです。こうして誕生した交響曲第7番は、1885年、ロンドンで自身の指揮で初演され満場の拍手でもって迎えられました。

そもそも従来のドヴォルザークの出版楽譜は誤植等の不備が多いことでも知られています。今回演奏する交響曲第7番(原典版)は、ベーレンライター社刊行ジョナサン・デル・マーによる新校訂版ですが、自筆スコアを資料の一つとして作曲者の特徴的な記譜法・用語を多く採用。さらに、ロンドンでの初演に基づく第2楽章を巻末に掲載しました。ドヴォルザークは初演が大成功したにもかかわらず、出版に際し第2楽章のテンポをアンダンテ・ソステヌートからポーコ・アダージョに書き換え、長さも39小節カットしました。初演後に音楽批評家と出版社ジムロックとの議論した末の改訂でした。削除されていた箇所もチェコ音楽的にとても興味深いものですが、新校訂版は刊行されたばかりでまだ録音もほとんどありません。今日は1885年にドヴォルザーク自身が指揮した初演時とまさに同じ形でお届けしたいと思います。