Cuatro Estaciónes Porteñas

Cuatro Estaciónes Porteñas

ピアソラ(デシャトニコフ編曲)
ブエノスアイレスの四季(弦楽合奏版)

Astor Piazzolla (Arr.by Desyatnikov) 《Cuatro Estaciónes Porteñas》

ピアソラは,「ブエノスアイレスの...」というタイトルを持つ4曲の作品を書いています。1965年に,第1作の「ブエノスアイレスの夏」を書いたときには,「四季」になる予定はなかったのですが,1969年に「秋」「冬」が書かれ,最後に19 年に「春」が書かれて「四季」となりました。

ブエノスアイレスの四季

ピアソラ 《ブエノスアイレスの四季》

violin 河内多結

6歳でバイオリンを始め、伊藤光、西森真弓、田淵彰、海野義雄、Rainer Kussmaul、Gregory Feigin、Zahar Bronの各氏に師事。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、現在リスクコンサルティング会社勤務。東京アカデミーオーケストラコンサートマスター。

ブエノスアイレスの夏 Verano portenoo
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ブエノスアイレスの秋 Otono porteno
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ブエノスアイレスの冬 Invierno porteno
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ブエノスアイレスの春 Primavera porteno
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ピアソラ本人の演奏による「ブエノスアイレスの四季」を初めて聴いたとき、泣けてきました。ピアソラの音楽は当初「踊れないタンゴ」 として評判がよくなかったようですが、泣きながらは踊れないと思いますので、コンサートホールでタンゴするならピアソラですね。と いうわけで、かどうかは分かりませんが、クラシックの演奏家のレパートリーとしても近年定着しているのはご存知の方も多いかと思いま す。この音楽は明らかにとてもクールなのに、なぜ泣けるのか?
が謎として残っていて、曲目解説を書くために付け焼刃の知識を手に入れた今でも、仮説が浮かんでは消えていきます。また1つ消えたと ころで、事実関係を整理しておきます。まずは曲について、本日の演奏順で。

ブエノスアイレスの(以下"B-")夏

B-四季シリーズで最初に、1965年に作曲されました。

B-秋

1969年に作曲されました。
フィギュアスケートのステファン・ランビエルの演技にも使われていたので、スケートファンにはお馴染みかもしれません。

B-冬、B-春

1969年末からのレジーナ劇場のコンサートシリーズで、2曲一緒に発表されました。

また、ピアソラの略年譜を。動き続けた人です。

1921 ブエノスアイレス州マル・デル・プラタに生まれる。
1925 家族でニューヨークに移住(1936まで)。
1938 エルビーノ・バルダーロ楽団の演奏を聴き、タンゴの可能性に目覚める。
1939 アニバル・トロイロ楽団に参加(1944まで)。
1946 自身のオルケスタ・ティピカ結成(1949まで)。
1954 パリ留学。
1955 帰国後ブエノスアイレス八重奏団、弦楽オーケストラ結成。
1958 ニューヨークに渡る。
1960 帰国し、五重奏団(キンテート)結成。
1970 レジーナ劇場でロングラン・リサイタル(前年末より)。
1972 究極のアンサンブル、コンフント9で活動(前年末より)。
1974 イタリア移住、『リベルタンゴ』録音。
1978 五重奏団再結成。
1982 初来日公演。
1989 六重奏団(セステート)結成、半年間活動し解散。
1992 ブエノスアイレスにて死去。

そしてヒントかもしれない、ピアソラの言葉。
「奇抜な音楽をやったからといって、現代的とは言えない。(中略)現代音楽を作曲する者は、自己のアイデンティティーを失ってはいけ ない。私はアルゼンチン人だ。その土地の香りを持っていなければいけない。」

本日お送りする弦楽合奏版は、とても精緻な編曲が施されています。おそらく泣ける理由のひとつなのであろう、土地の香りを、真 空パックしたような譜面なのです。開封したTAOが、そのままうまく皆様のお皿に乗せられんことを。(Vn 中田恒夫)

photo 横田敦史